I Love Tulip. 砺波市

特集コンテンツ~ チューリップ豆知識 ~

① チューリップ王国を築いたチューリップの父

春に開催される「となみチューリップフェア」では、300万本のチューリップが咲き誇る、砺波市。国内最大級のチューリップのイベントです。日本有数のチューリップ球根の生産地である砺波市が、ここに至るには、ある一人の男性の努力と挑戦の日々があったからなのです。

男性の名前は、水野豊造(みずのぶんぞう)さん。貧しい農家の長男として生まれます。
もともと砺波市は、冬は多くの雪が降り積もり、稲作にしか向かないといわれる厳しい土地でした。そのため、農作物が栽培できない寒い時期は、多くの農家が出稼ぎに行くのでした。
「農家のくらしを良くしたい。」そう思っていた豊造さんが、チューリップを知ったのは、花のカタログを見ていた時のこと。豊造さんは、稲作の裏作、つまり冬の間に、チューリップの球根を植えることを思いついたのです。 さっそく取り寄せた10個の球根を、田んぼの隅に植えたところ、春には真っ赤なチューリップが咲き誇りました。試しに市場へ売りに行ったところ、なんと10本で50銭、白米一升分もの値段で売れたのです。

水野豊造

これをきっかけに、豊造さんは本格的にチューリップ栽培に乗り出します。砺波の冬の寒さはチューリップ特有の病気の発生を抑え、花が咲く頃にはたっぷりの雪解け水を生み出します。また、水はけのよい土壌では大きな球根が育ち、チューリップを育てるのに最適な土地だった砺波。豊造さんは、熱心にそのことを伝えて回るのです。やがて多くの農家が賛同し、稲作の裏作として生産を始めるようになりました。

水野氏が品種改良したチューリップ 王冠 天女の舞

豊造さんは、チューリップの生産拡大のため、品種改良にも取り組みます。種から球根を育てるには5年もかかると言われるチューリップは、新しい品種を生み出すのにも、長い年月が必要です。しかし、チューリップ一筋だった豊造さんは、根気よく、ひたむきに取り組み続けました。その結果、「王冠(写真左)」「天女の舞い(写真右)」など、7品種のチューリップを生み出したのです。こうしてチューリップは、砺波を代表する花になりました。豊造さんの、「砺波を豊かにしたい」という思いが、たくさんの美しいチューリップを咲かせることになったのですね。

<出典>

『地上 2001年6月号 vol.55』 社団法人家の光協会

② 海を渡る砺波のチューリップ

砺波のチューリップは、現在、海を越えた場所でも花を咲かせています。それは台湾の嘉義市。
寒さを経験できない地域では、チューリップは咲くことができません。沖縄よりもさらに南にあって、年間平均気温が23度、冬でも10度を下回ることのない台湾は、チューリップが育つには厳しい環境と言えます。だから、暖かい地域には、チューリップの球根農家も、進出してきませんでした。
しかし2015年、以前より交流があった台湾の嘉義市で、砺波のチューリップを咲かせようと、プロジェクトが動き出したのです。

嘉義市との交流

砺波市や、富山県花卉球根農業協同組合のプロジェクトメンバーが試したのは、低温処理を施した球根を植えること。つまり、一度冬を経験させた球根を持って行ったのです。過去に沖縄でチューリップ栽培を実験し、成功した時も、開花したのは低温処理した球根でした。砺波市から持参した球根は、15品種、8,000球。12月下旬には、地元台湾の小学生60人の手で、プランターに植えられました。

嘉義市との交流

そして2月。台湾は春節を迎える頃、チューリップは元気に花を咲かせ、嘉義市の街を鮮やかに彩りました。
今後も砺波市と嘉義市は、チューリップで交流を深めてゆきます。

③ 名前の由来も原産もトルコ

チューリップと言えばオランダを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
実は原産国はトルコ。オランダに伝わったのは16世紀頃なのです。
オスマン帝国時代に作られた建築物や衣服、工芸品には、チューリップをモチーフにしたものが多く残っており、当時から人々に親しまれていたことが分かります。

タイル

そんなチューリップの名前の由来も、諸説ありますが、トルコ語の「tulipan(チュリパン)=ターバン」と言われています。これは、オーストリアの外交官と通訳の、ちょっとした勘違いによるものでした。
オーストリアの外交官が道端に咲いていた花を見つけて「この花は何という名前?」とたずね、通訳のトルコ人が「この、頭に巻いているチュリパン(ターバン)のような花のこと?」と確認したところ、外交官は「花の名前がチュリパンなんだ」と勘違い。以来、チューリップと呼ばれるようになったのだそうです。

チューリップはトルコの国花にもなっており、今でも街中には、たくさんのチューリップが植えられています。

<出典>

『イスタンブール・チューリップ』 トゥルハン・バイトプ 著/チューリップ四季彩館 編 砺波市

④ チューリップの魅力とその価値

トルコからオランダへと渡ったチューリップ。その可愛らしい姿に、すぐに大人気の花となりました。
17世紀初期の頃は、王族や貴族は、チューリップを育てていることが一種のステータスになり、高いお金をかけて次々とチューリップを買い込んでいたため、園芸家も栽培や品種改良に力を入れます。

すると、これはチャンスと、一般市民の中から球根に投機する人が現れ始めたのです。
人気が人気を呼び、球根の値段はどんどんつり上がります。珍しいチューリップの球根は、家一軒と交換されるほどの価値がありました。
そんなバブル状態は、1634年から3年ほど続き、1637年初頭には終焉を迎えました。 オランダを大混乱に陥れたチューリップバブルは、世界で最初の金融バブルと言われています。
それほどまでにチューリップは、人々を魅了してやまなかったのです。

<出典>

『シンガポール 2014年春号』 一般社団法人日本シンガポール協会
『チューリップ―ヨーロッパを狂わせた花の歴史』 アンナパヴォード 著/大修館書店

⑤ チューリップの歌を作ったおかあさんの愛情

♪さいた さいた チューリップの花が
という歌を覚えていますか?子どもの頃に、よく歌った、という人も多いのではないでしょうか。子どもが描く絵にも、チューリップをたくさん見かけますね。
童謡『チューリップ』は、世田谷区に住んでいた近藤宮子さんという方が作詞しました。国語の先生を夫に持つ近藤さんは、『チューリップ』の他にも、『こいのぼり』や『オウマ』などの童謡を作詞しています。 近藤さんは、「何色でも、誰にでも、良いところがあるので認め合い、特に弱い人にも目を配りたい」という思いを、「どの花見ても、きれいだな」の歌詞に込めたそうです。

歌詞に込めた、“おかあさん”の優しい思いが伝わってくるようですね。

<出典>

唱歌『コヒノボリ』『チューリップ』と著作権』 大家重夫 著/全音楽譜出版

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